玉が弾む
気軽に参加できるのは、フットサル。弾みの少ないボールを5対5で蹴るのが基本で、初心者から経験者まで幅広く楽しめるスポーツ。
やはり人気なのはサッカーだろう。観戦するスポーツとしても成立している。ボールはフットサルのより大きく、軽くて弾む。人数は11対11が基本。本格的な試合形式で行われる事が多い。
サッカー日本代表のユニホームに使用されるエンブレムは八咫烏。この、やたがらす、とは何か?
神武東征の際、三本足のカラスが大和の橿原まで導いたとされる。二本足の説もあるが、三本足の方が意味深でいい。奇形は正常を超える、とか。真ん中の一本は固いけど足ではない、とか。
カラスは非常に頭の良い鳥であり、神の使いとして、行き先へと導く。つまりゴールへと導く。それが八咫烏だ。
東征をした神武天皇は、初代の天皇と言われている。その先祖には伊勢神宮の御祭神である、天照大御神(アマテラスオオミカミ)がいる。更にその親であるイザナギは、黄泉国へ落ちる前のイザナミと夫婦である時、日本の島々を生んだ。つまり現在まで続く日本の天皇は、神の系統なのだ。
蹴鞠。この、けまり、をご存知だろうか?実際に見た事はなくとも、イメージは浮かぶだろうか。
飛鳥時代、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蹴鞠を縁に親しくなり、大化改新によって蘇我氏を滅ぼす。その後、中大兄皇子は天智天皇となり、中臣鎌足は藤原の姓を賜り、藤原鎌足となった。それが現在にも続く藤原家の繁栄へと繋がっている。
蹴鞠は実に多くの天皇、貴族、武将たちに愛された。室町時代に蹴鞠を楽しんだ足利義満は、金閣の名で親しまれる鹿苑寺を。孫の足利義政は、銀閣の名で知られる慈照寺や、和室の源流となる四畳半の同仁斎を作る。こうして蹴鞠を楽しみながら、日本文化も形作られてきたのである。
その蹴鞠は、鹿の革を縫い合わせて作る。中は空気なので非常に軽くて良く弾む。ルールは簡単なだけに難しくもある。まずは奉納神事として、国家安泰や五穀豊穣を願う儀式を執り行った後、八人で輪を作る。使って良いのは右足だけ。親指の辺りに軽く当て、上に飛ばす。上げすぎてはいけない。一人が連続して蹴って良いのは三回まで。サッカーで言うところのリフティングだが、むやみに一人で蹴り続けるのではなく、あくまで八人で蹴り合いを続けることが大切。調和を楽しむのだ。輪の中で各人が声を掛け合い、長く続けるのが良いとされる。
この蹴鞠、現在も多くの神社で行われる。談山神社や下鴨神社など。
中でも藤原氏の系統である飛鳥井家の邸宅跡、京都の白峯神宮では、毎年4月14日に蹴鞠奉納を行う。奉納後、希望者は蹴鞠体験が出来る。
蹴鞠は和歌と共にあると言う。御祭神となった崇徳天皇も和歌を詠み、蹴鞠を楽しんだ。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あわむとぞ思ふ」
急流のように困難な世の中で、違う方向に別れても、いつかまた愛しい人との再会を願う。百人一首としても有名だ。
和歌を詠み、蹴鞠を嗜む。なんとも日本情緒あふれる光景ではかいか。
蹴鞠とは実に、サッカーやフトッサルより面白いものかもしれない。一度は観てみる価値あり。そして蹴って楽しんでみる価値、大いにあり。
蹴球はいずれも楽しいが、蹴鞠は神社などで行われるだけに、何か特別な感覚にもなる。
神とは御霊。みたま、とも言われる。霊や魂も、玉と繋がる。
男性陣よ、だからこそ生まれ持ったことに誇りを持ちたまえ。
女性陣よ、玉を撫でるように優しく扱いたまえ。色香は美しい珠玉。愛されて艶めく宝玉となるのだから。
玉は蹴ったり飛ばしたりと、時には乱暴に扱われるのものだが、揉まれてもなお、玉からは色々なものが生まれる。友情、愛情、命。
玉は崇高なのである。