直感のままに

お散歩する時、自由気ままに歩く時、どのように道順を決めていらっしゃいますか?

お時間の許す限り、なんとなしに惹かれる方向へ、導かれるままに歩くことを推奨したいと思います。

それはなぜかと申しますのも、なににもとらわれずに自然と感じる直感こそ、貴方のゆくべき道を示してくれることも多いのですから。

たとえば本日は左の方向へ、なにかを感じて進みました。するとそこには建仁寺の門がございます。そんなところから?と思う間もなく、意外や意外に、エンジンをふかせたクラシックカーの数々が並んでおり、次々と門の外へ、ゆっくり走り出てくるのであります。

ポルシェ、フェアレディ、ガルウィングのベンツと、まだまだたくさんの旧車が何十台と並んでおります。

お寺さんからクラシックカー登場ですから、びっくり仰天ではございますが、つかの間、クラシックカーのパレードを堪能いたしました。

もしその時、右の方向へ歩いていたらどうでしょうか?

そこには別の素晴らしき何かがあったかもしれません。

けれども、クラシックカーを眺めることはできなかったことでしょう。

さて、本日の目的は宮川町で行われております、京おどりの千秋楽でございました。

開場時間の前に、タイミング良くクラシックカーのパレードを堪能という、素敵な序章の一幕を頂戴することができました。

この絶妙なお時間の配分を、ただの偶然とみなすか、神の采配と感じ取るのか、そこが要となって参ります。

直感は、偶然を引き起こすのではなく、必然を引き寄せます。

引き寄せられた先に起こったことが、喜ばしい現実であれば、貴方の歩む道は正しいと言えるでしょう。

または努力されてきたことへのご褒美である場合もあります。

直感のままに進んでこそ、素晴らしき景色が見えるのでございます。

さて、京都には五花街がございます。

そこで毎年行われます、芸妓さん、舞妓さんの踊りには、はんなりとした風情があります。女と言う名の花は、それぞれの色をたずさえて花街を彩ります。

その中でも宮川町の芸妓さんは、婀娜っぽいと申しましょうか。たとえるならば、人肌の熱燗を嗜んで酔い始めるような、見ているだけで、そのような感覚におち入ってしまう、艶があります。

花に酔いしれ、舞に見惚れる。

京おどりは、華やかさもさることながら、ユーモアもございます。そうして千秋楽の幕が降ります時には、手締めが行われました。

ほろ酔いな雰囲気で始まりました京おどりも、千秋楽の手締めと共に幕が降ります頃、ほとんど深酔い同然に、気分は高揚し、頰を赤らめ、すっかり出来上がっております。

こうしてまだ少し肌寒い京の町を、直感のままに、本物の熱燗を求めて彷徨うのであります。

今夜も一献。

本日の後書きには、旨い酒を注いでくれる、美しき花を侍らせて、しっぽりと。