日本代表とは何なのか!?
W杯といえば、世界中が釘付けになるサッカーの祭典である。
しかしながら、日本人の気質にはサッカーは難題な点が多分にあると思う。
消極的。周りの目を気にしすぎる。人と違う事が出来難い。そのような点において面白味に欠ける。
それでも日本に生きる者として見る意義を感じていたのだが……。
それにしてもまあ、負け試合のラストにおいて、なんたる時間稼ぎのボールまわしか。
これには幻滅を覚えた。つまり試合に興奮するどころか、魂が濁ったのだ。
代表を名乗るチームプレーとしては、サッカーのお手本にならない。フェアプレーで勝ち上がったとしても、あのボールまわし自体がフェアプレーではないと首を傾げる。
スポーツも人生も同じであるが、人間が生きている意味、それは何よりもまず魂を輝かせる事にある。
その視点からすると、決勝トーナメントに進もうとするあまり、日本人のいわゆる駄目な部分が多分に出てしまった。
いくら上からの指示だったとしても、1人がボールをまわし出せば、皆もそれに同調。
おいおい、せめて攻撃陣の1人でも、その空気を打破してゴールを目指せよ!!
あんなサッカーを見せてしまって、選手は気持ちがいいか? わけないよな。
観客はそれでも決勝トーナメントに進んでくれて素直に喜べるか? ちょっと難しいよな。
サッカーを愛する少年少女たちに夢を与えるプレーだと言えるか? ぜったいに言えないだろうな!
正々堂々と闘ったのちに、どうしても勝てなかったという清々しい負け方もあって、その方が魂本来の輝きが増すわけである。
勝ち負けではなく、人は懸命な姿に心を打たれるのだから!!
サッカーに限らず、どちらに進むべきか迷った時にはぜひ、魂が輝く方を選んでみて欲しい。
懸命に猛進できる出来事に没頭する。
すると結果ではなく、魂のオーラが綺麗に増長するのだ。それこそが、人生を真摯に生きている証拠であり、己にとっての勝利である。
今回の試合は、魂のあり方を問題提起する点において考えさせられるプレーではあった。
良い事からも学ぶ。良いとは言い難い事からも学べるのが人生だと痛感する、そんな試合となった。
いやしかしながら、どんな姑息なプレーであっても決勝トーナメントに行ったのだから、世界中の大ブーイングを覆すような、今度こそは魂が震えるまでの情熱的な試合をして欲しいものだ。
人間はどのような評価からもやり直せる。立て直せる。それを見せてくれたなら、後味の悪かった出来事すら、人生の経験値を増す事となり得るのだから。