みたまうつし

毎年、七月になると、一ヶ月の間、京都では祇園祭が行われる。

平安時代に始まったとされる、このお祭りは、千年以上も続いている。

人々の手で、山鉾や神輿が運ばれ、京の都を、豪壮、優雅、華麗に並んで行く。

七月二十四日には、還幸祭がある。

神様の御霊を、八坂神社の本殿へとおかえりいただく儀式。

これが、みたまうつし。

もともと、疫病退散、怨霊を鎮める為に始まったとされる、祇園祭

平安時代から、いま、平成時代最後の年になったけれど、この酷暑の中にあっても、伝統は止む事なく、粛々と続いて行く。

午前零時の核。

みたまうつしの儀式は、厳かに行われる。

写真撮影、動画、携帯電話を使用しては、いけない。一切禁止。

神様の御霊を、それらで写してはならない。

この事は、本来は常日頃から、気に掛けたい。

文明開化と共に、人々は無礼な生き物へと成り下がった。

神社やお寺、お墓など、どこでもお構いなしに、無駄とも思えるほどに、写真を撮りまくる習慣となった今。

考えてもみて欲しい。

自分の家に他人が無断で上がり込み、書斎やら寝室、トイレにいたるまで、どこでも、なんでもかんでも許可なく撮影されて、嬉しいと思えるのか。

神様、仏様、ご先祖様も、同じ事。

静粛なる場所では、とくに、一言。たとえ声に出さずとも、一礼。そんな気持ちを持って、撮影させていただく事。もっと言うならば、そんな時こそ、手ぶらで、心を一つに専念して、ただただ、お参りをする。それが一番に、神仏と繋がる事の出来る、純粋に魂の触れ合える方法。

どうしても撮る必要があるのなら、少しの会釈。そのくらいの礼儀作法は持ち続け、文明の利器を使いこなしたいもの。

人間は気に留めていなくても、天界では、いつも地球での行いを見守っているのだから。

物体なき神仏を崇める心があるのなら、ご利益を求めて参拝するのであれば、精神を落ち着かせる為に、手を合わせるのであれば、なおさら、そのような、有り難い気持ちを持って、お参りして欲しい。と、そう、言われていますよ。見られているのですよ。いつも、いつでも。あちらから。