干支は巡る

丑年から寅年へ

なお丑の日から寅の日へ

丑年の大晦日は丑の日で

寅年の元旦は寅の日です

うしうし

とらとら

まるで

うきうき

わくわく

のようですね

今年の年越しも有難う御座います

無いものを欲しがるより

有るものに感謝をしてみます

すると与えてもらえます

それは有るのにないない

もっと欲しいと求めれば

有るのに無いのと同じです

有るもの一つ一つに感謝を込めてみますと

たくさん有るとことに気がつきます

欲すれば足りないもので

満足すれば増えるものです

もしかすると

無くなったのではなくて

有りすぎたのではないですか

来年の年明けを有難う御座います

 

時計の針は師走へと

秋の紅葉を愛でながらも、身体に染みる寒さを痛感して、両手をぬくめる。

もう初雪もちらほらと降る場所もあったりなんかして。

明日から十二月。

今年最後の一か月。

この一年の出来事なんかを振り返りつつ、来年はどんな一年かを思い浮かべてみたり。

マスクも消毒も検温も、もうすっかり慣れっこで、意外と人ってどんな環境にも対応できるんだなって。

順応しながら時を過ごしていることを、なんとなくいい感じなんだと認識して、師走へと時計の針を進めてみる。

いい肉の日なので。

焼肉屋さんへ。

けっこうサービスしてるとこもある。

七輪のまわりに並べられた霜降り、赤身、ホルモンやらのかずかず。

キムチやサラダもあって彩り豊か。

皿の上は芸術作品のよう。

網の上では薫りのつまった煙が上がってる。

じゅるり。

美味しいなあ。

焼かれてく切身は蠢きはじめ紅色から茶色へと脱皮する生き物のよう。

ふと……。

切られる前は生きてたんだもんなあ。

殺され血を抜かれ切り裂かれ今この口の中を喜ばせているのか。

そして胃袋を満たしていくのだ。

この体が明日も生きていくために。

この命を繋ぐために肉塊となってその命を全うしたのだな。

生きるとは残酷だよなあ。

生き物を殺して食べて命を守るんだもの。

生きるって有り難すぎる。

この美味しい肉を頬張るほどに幸せを噛み締める。

この命を満たすために生まれては死んでくれた命。

今日も命をいただきます。

美味しいことは有り難い。

自分では殺して切り刻んで食べることなんて簡単にはできないもの。

皿の上に普通に並べられた生き物だった食べ物たち。

生まれてくれて有り難う。

死んでくれて有り難う。

あなたの命をいただいて今日も幸せに生きているよ。

いただきます。

手も合わせなきゃ。

いただきますって生きることと死ぬことを食しているんだもの。

今日も命を有り難くいただきます。

合掌。

 

 

地球人ではない存在

人間がすべて地球人だなんて思っているのは勘違いも甚だしい

凄まじい了見の狭さである

地球人の姿をした宇宙人なんてのは幾らでもいる

そもそも宇宙人が地球人となったのだから区別する方がどうかしている

貴方のまわりにもいるであろう

あの人はまるで宇宙人だと思える存在が

これからは理解し合わない生き方を選ばなければ傷つきすぎて生きていけない

それは自分らしさを追求していくこと

わかり合おうとすることから悲劇が生まれるんだ

考えてもみたまえ

どこの星から来たかもわからぬような宇宙人どもとわかり合おうという方が難儀なのである

孤独は寂しさではない究極の自由を満喫すること

誰にも邪魔されない自分だけの宇宙空間を楽しめばいいのだ

時代はもう地球人とか宇宙人とか区別するような狭義な空間ではない

感性はどこまでも広義であっていい

楽しみ尽くせる覚悟があれば昇天を達成できるという仕組みなのだから

やらない手はないであろう

 

 

礼儀ほど美しいものはない、と述べた人。

とある神社へお参りをしますと、毎月の言葉として、ありました。

「礼儀ほど美しいものはない」という、文字です。

今年の顔。といっても過言ではない、渋沢栄一が述べた言葉だそうです。

確かにそうでしょう。礼儀とは相手への配慮です。

スマートな対人関係への謙虚な姿勢でもあります。

それが出来ているだけで、品のある空間が生まれます。

それだけで、美しい人格が滲みでます。澄んだ空気感に包まれるのです。

礼儀は一日にして身体に入るものではありませんから、常日頃から、ちょっとした気遣いとしての作法を心掛けたいものですね。

そういった日々の生活から、人格に気品のあるオーラを纏うことでしょう。

礼儀を重んじることで、人として美しくなれるわけですから、実行していきたいものです。

 

仮面マスク

毎日マスクをつける

苦しい時もある

暑い時だってある

外したくなる時も

 

だけども顔はんぶん隠してると

みょーに落ち着くこともある

人にすべてを見せない

見られていない

そんな安心感

きっと心の一部も隠してる

仮面のように

 

 

ボヤくおっさん

車内で向かいに座ったおっさん

「自分とな、自分の産んだものしか愛せねえ」

一瞬、カッとコチラを見てくる

「それが女と違うか?!」

そう言って、ちょっと詰め寄ってきた

「愛されたくて、愛するフリしか出来んのだよ」

なんかヤバい、と思って身体をよける

「そうだ欲望しか知らんのだよ、男はな」

次の駅で降りようと思った

「だけどよ、自分の産んだものしか愛せねえ方が、欲望だと思わんか!」

そのおっさんは、立ち上がった

「つまりよ、自分以外を愛せる人間なんていねえんだ!」

言い放って隣の車両へ移動した

 

なんなんだ、あのおっさんは

奥さんに、捨てられでもしたか

 

たしかに、どんなに愛し続けようと思って一緒になっても、別れるのが夫婦

どんなに気持ちがすれ違っても離さないのが、子供かもしれない

男女は欲望で繋がり、子供は欲望の塊として誕生し、塊を自分の分身として……

それなら人間が本当に愛するとは、どういうことか

無償の愛って、なんだろう

 

おっさんのボヤきに、なんだか考えさせられる