一粒万倍日じゃ

少し昔のこと。あるお婆さんが、縁側に座って小さな本を読んでいた。

すると突然、

「ありゃ、今日は一粒万倍日じゃ」

と言った。

お婆さんがいきなり声を発したものだから、庭のスズメがちゅんちゅん鳴いた。

それからお婆さんはいそいそと立ち上がって、ちゃぶ台に置いたあった財布を手にした。

そのまま廊下の先にある玄関で、つっかけを履いて出ていった。

駅前の宝クジ売場にたどり着くと、列ができている。

店の前には、本日は一粒万倍日。と書いてある。

お婆さんは窓口のお姉さんと何かを話してから財布を開けて、お金を渡している。

そうして今度は宝クジを財布に仕舞うと、また家へ戻っていった。

家の仏壇にさっき買ったばかりの宝クジを置いて、線香を手向けた。

「今日は一粒万倍日じゃ。ほおれ、宝クジを買うてきたぞ」

お婆さんは一粒万倍日になると、いつも仏壇に宝クジを供えた。

一粒の籾が万倍になるという、一粒万倍日。

何かを始めるには縁起が良いとされる日。

お婆さんはいつも、この日に宝クジを買ってきては仏壇に供えた。

ある日、この家のお婆さんが居なくなった。

お婆さんもまた、仏壇の中の仏様になった。

仏壇に積まれてある宝クジは、何万倍になったのだろう。

あのお婆さんは、誰のために宝クジを買っていたのだろう。

縁起を担ぐということが、昔の人の楽しみだったのかもしれない。