観覧車で宇宙飛行

黒髪の女の後ろ姿を追って、デパートの屋上に設置されている観覧車乗り場へと辿り着いた。

東京と横浜の街が一望できるであろうその観覧車は、夜にはライトアップされ、ブルーとグリーンの光を放って幻想的に回り続けている。

女の手には花束があった。その花束を抱えたまま、女は一人で夜の観覧車に乗り込んだ。

デパートのエスカレーターで見かけたその女がどうしても気になり、そっと後をつけて来てしまったのだが、まさか一人で観覧車に乗り込むとは……。

すぐさまチケットを購入して、次のまあるい箱の中へと潜り込んでみた。

これは尾行であるのかストーカーなのか。箱の扉が閉じられると、ゆっくりと上空へ向かっていった。

一つ前のまあるい箱の中に入っている女の方をチラリと見ると、その女と目があってしまったので、ドギマギした。

慌てて目を逸らそうと座っている向きを勢いよく変えると、それが振り子になって観覧車が揺れたものだから、思わず仰天して声をあげてしまった。

あの女は笑っているだろうか?

もう一度チラリと見てしまった。しかし観覧車が回っている為に僅かずつ角度が変わり、もう前の箱の中が見えなかった。少しだけ安堵した。

だが次の瞬間、横殴りの風がまあるい箱の側面に大きなくしゃみを吹きかけたものだから、今度はガタガタと音を立てて、馬にでも乗っていたかと間違える程に揺れた。

「降ろしてー!」

たまらず叫んだ。しかしここから降りられるわけもなく、観覧車は空高く突き進んでいく。

まばゆい星がウインクした。根性なしの肝っ玉を嘲笑っているのか。そして今夜の月は、はにかんだ口元にすら見える三日月。やはり嘲笑されているように思えてきた。

その時、流れ星が煌めいた。願い事を言わなくては……!

「すぐにここから降ろして下さい」

早口で三回言ってみた。なんと情けない願いであろう。しかし人間の脳みそは焦っている時にこそ大した願いが思い浮かばない。それにしても、すぐにここから降りられるわけでもなく、いよいよ観覧車は天辺に差しかかろうとしていた。

すると上空から、花びらのシャワーが降り注いだ。夜の闇にヒラリヒラリと舞った花びらは、宇宙を鮮やかに染める花火にも見えて、目を細めてしばし見惚れる。

あの女が手に持っていた花束を散らしたのだろうか? 箱の角度が邪魔して、一つ前の女の姿が見えない。

けれど花びらが舞い続けている夜空を見ていると、もうここは地球ではなくて、宇宙にまで辿り着いてしまったように思えてくる。

夜景の輝きと星の煌めきが一体化して、花びらが舞い遊ぶ。はにかんでいる月には手が届きそうなほど。ここから地面を見下ろすと地球の形がまあるいのがわかる。それを包み込んでいる宇宙の陰影が輪をかけたようにまあるいのもわかる。 こうして思いがけない遊覧を楽しんでいる自分がいた。

ここは現実世界ではなく、あの世のテーマパークだろうか? ふと、そんな風に感じてしまう。手を伸ばせば届きそうな宇宙は、こんなところにだってある。

観覧車に乗って、その空間をどう感じるかは自分の心次第ということだろう。

その時、今度はまあるい箱の横っ面を一気に蹴り上げられた。宇宙におられる神様は、観覧車を鞠の代わりにして球技を楽しむようだ。

「ぎゃー! 神様助けてー!!」

思わずそう叫んだが、鞠を蹴って宇宙空間での遊びを堪能しているのも神様なのだから、助けてなどはくれない。 物凄い形相で観覧車の窓にへばりついた。

宇宙のやる事は規模がでかい。こわいのが段々と快感になってくるから面白い。 宇宙から生まれた地球。地球に生まれた人間。 だから縮こまって生きなくっても、いつでも宇宙へ飛び出してみればいい。

宇宙へ飛び出すのは確かにこわい。けれどこわい分だけ、そこから見える景色も遊びも壮大なもの。

驚愕したり、感動したりを繰り返している内に、つかの間の宇宙飛行が終わりに近づいてきた。

一つ前のまあるい箱の扉が開いた。いや、開かない。中から女の姿が……。あ、あれ? 出てこない。どうしたのだろうか。

続いてこちらの扉が開いて、観覧車の外へ降り立った。無事に地球へ到着。

観覧車の案内人に、前に乗っていた女の事を尋ねてみた。

「いいえ、誰も乗っていませんでしたよ」

そ、そんなわけはない。

咄嗟に一つ前のまあるい箱を目で追いかけると、黒髪の女がこちらを見て笑っているではないか!

「あ、あの女の人です!あの人、降ろさなくていいんですか?!」

観覧車の案内人は、首を傾げて失笑しながら作業に戻ってしまった。

うう。今度は人間に笑われた。 何かの幻覚でも見ていたのであろうか。

デパートの1階に降りて、大地から上空を見上げた。

ブルーとグリーンの光が交差して、そこには夜空と宇宙との境目がなかった。

ちょうどその時、天辺に浮遊している観覧車のまあるい箱の扉が開け放たれて、黒髪の女が外に出ようとしている。

「あ、あぶない!」

言い終わる間もなく、女の身体が空に飛び出してしまった。あんなところから落ちたらひとたまりもない。

しかし女は落ちるのではなく飛んでいった。宇宙の遥か彼方を目指すように。

一瞬、何を見たのか意味がわからなかった。頭がおかしくなったのか。

帰り際に、閉まりかけた花屋の前を通った。そこにはさっきの女が手にしていた花束と同じものが一つ、売れ残っていた。

どうしても素通りする事が出来ず、閉店間際の花屋に滑り込み、その花束を購入した。

家に帰り着くと、亡くなった母親の仏壇に花束を添えた。

「あっ、そうか。今日だった」

ふとカレンダーに目をやると、今日は亡くなった母親の誕生日だった。

そう言えばあの黒髪の女、若い頃の母親に似ていたような気もする。

母親の昔のアルバムを開いて見ると、そこにはカーネーションの花束を抱いた黒髪の女が写っていた。

仏壇に添えた花束も、カーネーションだった。それは母親が一番に好きな花。

小さい頃、何かに怯えて怖がる自分をいつも悪戯っぽく笑っていた母親の姿を思い出す。カーネーションは、母親の笑顔そのものに見える。

「お母さん、誕生日おめでとう」

母親の誕生日だったのに、なぜかこちらがお祝いでもされたような、とんでもないサプライズをされたような気分になった。

やはりあの世は、宇宙は、寛大な存在だ。

どんな不思議な出来事も簡単にやってのけてしまうのだから。

母親は天女になったのだろうか。あの時、まるで上空を自在に舞い飛ぶその姿があった。

だとしたら今は人間である自分も、いずれは天界へと、宇宙へと自由自在に飛び立っていける時が来るのであろう。

宇宙はまあるい。地球もまあるい。観覧車もまあるい。

人間の魂も、だからきっとまあるい。

人間のとんがった頭の中でカチカチに凝り固まった既成概念をぶっ壊して、柔軟にまあるくしていったら、いつだって宇宙の中に溶け込んで、大きなまあるい輪になれるだろう。