地球の猛威に芸能を

昔にも疫病が蔓延する時代がありました。

その度に退散させる儀式が行われてきました。誰がいつどこでかかるかわからない、見えない敵。

悪とされる疫病ですが、何かを気づかされることも多いのです。

人間の存在意義を考えさせられる、貴重なメッセージとして現れているとするならばどうでしょう。

地球人が一番偉いのだと、我が物顔で発展しすぎたかもしれません。

スピード違反を犯し続けた可能性があるのです。

地球を破壊して、住みやすくなる代わりに、自然に負荷を与え続けたのです。

余計に土をえぐって掘り起こしたり、損得の為に木を斬り倒したりして、そんなに虐めないでおくれ、自然界が心地よく過ごしている場所まで浸食してこないでおくれ、人間たちよ、と抵抗しているのかもしれません。

無理がたたると、自然界なのに不自然が続くと、それを止めるために抵抗して、想像もしない事態が起こります。

そんな時にはいつも、猛威を鎮めるために芸能を捧げてきました。

昔には見えないものを畏怖する謙虚さがありました。

自分勝手に地球を荒らしてきた暴君として、地球人はいよいよ謙虚に戻る時代になったのでしょう。

そんなに贅沢をきわめて、それでも幸せだと思えないのなら、もっともっと幸せでなければ満足できないのなら、あとは何を破壊しますか。少しくらいは、今あるものに感謝をして、謙虚につとめてみてはどうでしょう。

必要以上に欲しがらなければ、きっときっと見えないものと共存していくことの気づきがあります。

物やお金を持つだけでは自己満足にすぎなくて、傲慢なだけです。

有り難く頂いて、嬉しいと思いながら使えていますか。充実させるからこそ、心地よいのです。

ただ貰い、出し惜しみ、持っているだけでは幸せになれません。

何事も感謝を循環させることで満足できるのです。

芸能は表現です。

あってもなくてもいいような存在かもしれません。

けれども心の中を、出来事を形にする一番の方法です。奥には真心を秘めているのです。

古くから連綿と行われてきた儀式でもありますから、祈祷や呪術としての要素があります。更には台詞という言霊を使います。目的は心の実りを豊かにする為と言えます。

人間は感動するから生きている実感を得られるのです。

人間ばかりが被害者ではありません。実りある自然を破壊された地球は、言葉は話さないけれど、耐え切れずに色々な形で悲鳴を上げます。

みんなが悪だと言えば、疫病も自然災害もただの悪になってしまうのではなくて、個人がどのように感じ、良いものだけを選択していくか、自分自身で考えて行動する時代になりました。