病室でかわした言葉

今から三年前。

今回の取材対象者であるMさんの母親は、Y市内にあるSという病院で終末期にありました。

娘のMさんは幼い頃から不思議な体験をする子でした。

そこでご本人にS病院でのお話を聞くことができました。

今回は母親の亡くなる数日前の会話を記録として残しています。

ここからは母娘二人の会話です。

 

「何か見えるの?」

病室の天井を左右へと目で追う仕草をする母親に娘のMはたずねると、母親はこう返答しました。

「お父さんがいるの」

「……そっか。何か言ってる?」

「そんなに苦しいなら、こっちへおいでって」

そう言ってまた違う方向へ瞳を移動させると、眩しそうにまぶたを閉じかけます。

「他にも何か見えるの?」

「白い光が見える」

 

病院に搬送される以前に娘のMは、人が死ぬ時には必ずその人にご縁のあった存在がお迎えにくるのだと母親に話したことがあったのです。

それだから死は孤独ではないのだと説明しました。

それから間もなく母親はその体験を娘の前でしているのです。

続けて娘は母親に問いかけます。

「白い光って、どんな感じなの?」

「なんだか神様とか仏様みたい。すごく眩しくて、ありがたい存在だって感じる」

「すごいのが見えるんだね、お母さん」

すると母親は眼尻に光るものをたたえながら、

「これが、お迎えなんでしょう?」

「大丈夫だよ。白い光は怖くないでしょう?」

「うん。怖くない。もう怖くないよ」

それから数日後、母親は危篤状態にありました。

もう話すことも動くこともなく、ただいつ呼吸が止まってもおかしくないという、その時。

母親は娘のMの名前を微かに呼びました。

母親の口元に耳を近づけると、何かまた囁くように言った気がしました。

「みんな居るから大丈夫」

そのように聞こえました。

本当の本当にみんながお迎えに来ているのだと確信して、母親の死は悲しいものではないと実感しました。

むしろしっかり送ってあげなければならないと感じたのです。

こちらでは人間が見送ります。

あちらではたくさんの存在がお迎えにきてくれています。

命の橋渡しとでも言えるでしょうか。

また「みんな居るから大丈夫」というのは、生きていく娘のMに対する最後のメッセージであったのかもしれません。

どちらかだけとも限らず、どちらでもあると思うのです。

天国へ向かう母親のまわりには、みんなが居るから大丈夫であること。

そしてこの先を生きていく娘のまわりにも、みんなが居るから大丈夫であること。

生きることも死ぬことも、いつ何時でも孤独ではなく、見えない存在に見守られているという、そんな体験でした。