人が人を裁くということ

死刑制度の賛否が問われる日本

遺族にとっては執行を願い

執行される側は死にたくないと抗う

また反対に執行される為に事件を犯す者もいる

死刑制度に関しては極論であるが

では果たして

人が人を裁くということ

これ自体にどんな意味があるのか

まずは人間のルールから考える

法律に沿って刑罰が決まる

それは執行する側の正義とも取れる

それでは魂の視点から見てみる

執行される人間には反省のある者

反省のなき者

悔い改めるべきか悩みの中にある者

さまざまであろう

この世に生きている意味

自己の試練を乗り越え

魂を磨くこと

今世で起こる失敗からも成功からも学ぶ魂

その命を他の者が奪う

刑罰であったとしても

それはこの世で魂が反省する機会を奪うことになる

死ねば償ったことになるのか

それは生死を繰り返す魂の本質からいえば浅はかな考えになる

極刑では身体を失うに過ぎない

遺族と執行側の裁きは一方通行に終わってしまう

このようなことでは罪を犯した魂にとって

今世において本当の意味で償う機会すらも葬る

人間は悔い改める生き物

その為に人と人との間を営み生きている

時には苦しみもがきながら

本物の苦悩は魂の中にあり

身体はそれを覆う物体に過ぎない

人を殺した魂も修行を積んで

その過ちに自分自身で気付かなければ本当の贖罪にならず

被害を受けた側の魂は真に償いの心を持った相手の姿を見届けることが出来ない

人が人を裁くということ

それはどんな小さな事件や事故においても本来はする必要がない

崇高なる存在に委ねてしまえばいい

正義のつもりで裁いた側は

相手の魂の成長を止めてしまいかねないからだ

人間はもっと寛容であってよいはず

どんな凶悪な事件を犯した者であっても

きっといつか長い年月の先になろうとも

改心すると信じてやる

これが一番に反省への近道となり得る

人間は騙されたり裏切られたり殺されたりすると

やり返したり罰を与える生き物になった

けれど魂に効く一番の特効薬は

それでも改心すると信じてやること

信じて信じ抜かれると相手の心に光明が差す

自らの行いを悔い改めて清らかな心持ちになっていく

やられた事にやり返していたら

どちらの魂も濁りを増すだけ

人間の殻を脱ぎ去った魂同士で見つめ合う

感情を持たない人間はいない

善と悪の間を彷徨うのが人間だ

信じることが何よりも一番の反省と再生の機会である

それはお互いに辛くもあり時間のかかる作業に思える

とことん信じる勇気

これはかなり難しいことであろう

けれどもそれが実行された時

如何なる刑罰も地球上には必要なくなる

やられたら報復するのではなく

どうか改心すると本気で信じてやって欲しい

その先に

お互いの魂が磨かれていくのだと信じて